予兆は、確かにあった。 
 最初に気付いたのはレンだった。伝説の住人“混沌の監視者”。ちなみに、 
レジェンドだから縮めてレジェン→レン、と、安易な呼び名を付けたのはネー 
ミングセンスが腐乱している死霊課の連中だ。 
「強大な闇が来る」 
 半月ほど前。街並みに消えゆく夕日の残光を背に、珍しく不安な面持ちでレ 
ンは俺に告げた。その【かりそめの姿】は男物のカッターシャツをフェミニン 
に着こなした黒縁眼鏡の女性。いつもはどこか楽しげな表情で、俺達に何かを 
伝えるというのに。 
「全ての光を拒絶する闇。安らぎの闇をも侵食する闇。とても危険な、闇が」 
「俺の敵か?」 
「そうだ・・・・・いや」 
 一旦肯定してから、首を横に振って、言った。 
「我々の敵だ」 
 惜しむらくは、レンの予知能力は予言の形でしか表れないということだ。 
 何かとんでもなくヤバいことが起きるらしい、と俺達は警戒した。それなの 
に、降りた天使たる“守護天使”アンジェの経営する会社が周到な詐欺にあっ 
て倒産寸前の損失を受け、竜の“誇り高き龍”リュウの組織が同盟組織に突然 
裏切られて壊滅的な打撃を受けた。彼らの会社や組織が完全に瓦解しなかった 
のは、ひとえにアンジェとリュウの努力の賜物であって、決して、敵が手加減 
したからではない。 
 真っ先に直接対峙したのは執行者“鋼の戦士”ジャスティス・メタルことハ 
ガネと魔女“きらめきの魔法使い”マホ(正確には「マジカル・マホちゃん」 
という。これまたネーミングセンスが死滅している死霊課の連中が勝手に付け 
た愛称だ)の2人。正義を愛する熱血漢とご町内の平和を守る熱血少女とが突 
出して奴に戦いを挑み、リュウの命令を受けて組織の敵を探していた自動人形 
“無垢なる人形”ドリィが飛び入りで参戦。 
 あっという間に、3人とも【かりそめの死】に追いやられた。そこへたまた 
ま通りがかった異能者“真魔の血脈”マコトと人狼“法の番犬”ロウ(「真」 
でマコト、「狼」でロウ。誰か死霊課の連中にネーミングセンスを分けてやっ 
てくれ)が、倒れた3人を担いで命辛々逃げ出した。 
「ペルソナ・ネットワークの決定を伝える」 
 日本支部の長老、ウォーレン“グラットン”レイクから、俺の携帯電話に伝 
言があった。 
「奴に【真の死】をくれてやれ。奴の『子』であるお前が」 
 奴は。彼女は。俺の『親』たる吸血鬼。“純白の妖婦”ヨウコ。 
――― 
「何を考えているの? ヤイバ」 
 夢蝕み“月夜の夢魔”ユメコが俺の顔を覗き込んでいる。ユメコは夢子。死 
霊課の連中が付けたにしては可愛らしい名前だが、この女の本性を知った後で 
付けたにしては、可愛らしすぎる名前だ。 
「彼女のこと?」 
「ああ。・・・あいつのことだ」 
「最近ずっとそうね。妬けちゃうわ」 
 クスクス笑う。 
 【魔の姿】を隠して、全く人間そのものにしか見えない【かりそめの姿】を 
取っているにもかかわらず、しかも、紺色のお堅いスーツを着て、理知的な雰 
囲気の銀縁眼鏡を掛けているにもかからわず、流石は淫魔、セックス・アピー 
ルが大爆発しているかのような美女っぷりだ。ただそこにいるだけで、男とい 
う男を誘惑せずにはおかない。 
 初夏の陽気の日曜日。真っ青な空の昼下がり。部屋の中にこもっているのが 
嫌になるくらい好い天気、というのが普通の人間の感覚だろうが、俺にしてみ 
りゃ押しつけがましいほど眩しくて、ただただ暑苦しいだけだ。 
 ここは俺の事務所。狭くて汚いビルの一室に、すり切れてはいるが高級感の 
ある絨毯、艶のある重厚なマホガニーの机、大企業の社長が座りそうな本革の 
椅子。 
 パッと見、それなりのセンスに基づいて、そこそこ金を使って揃えました、 
という雰囲気だが、実はこれ、全部ゴミ捨て場からの拾い物。“法の番犬”ロ 
ウに手伝わせて、えっさほいさと運び込んだ品だ。要するに、全部タダ。貧乏 
探偵が見栄を張ろうとしても、これが精一杯ってとこ。 
 俺は吸血鬼“宵闇の探偵”。ヤイバ、の仇名は、俺が魔剣持ちでもあること 
からきている。この街の半魔は、歴とした【人の名】も【魔の名】も持ってい 
るというのに、何故か死霊課の連中が勝手に付けた名前が一人歩きして、誰か 
らもその名でしか呼ばれない。仕方ないから、俺達自身、最近は開き直って死 
霊課謹製の愛称で名乗り、また、呼び合っている。 
「彼女の狙いは、やっぱり貴方なのかしら」 
「さあな。未だかつて、俺にはあいつの考えていることを読めた試しがないん 
だ」 
 行儀の悪いことに机の上に座って、俺は自分の手元に置いてある相棒に目を 
やった。こいつと出会ったのは彼女と別れてからだ。まさか俺の『親』をお前 
に紹介する日が来ようとはな。しかも、こんな形で。二度と、彼女には会わな 
いつもりでいたのに。 
 彼女とて、二度と俺に会う気はなかったはずなのに。 
「何で今頃、なぁ・・・・・」 
 煙草でも吸いたいところだ。そうすれば、溜息をつくのもサマになる。だが 
生憎と、俺は煙草が苦手なのだった。 
「寂しくなったんじゃないの?」 
 惑わすように妖しく笑ってユメコが言う。 
「寂しくなった?」 
「そ。男と別れたか、一人で暮らすのに疲れたかして、ふと、昔の男に会って 
みたくなった。そんなところじゃないの?」 
「おいおい」 
 俺は苦笑する。 
「そんな理由でアンジェの会社やリュウの組織を叩き潰して、ハガネ達を棺桶 
に叩き込もうとしたのか? あまつさえ、ネットワークまで敵に回して」 
「そこが女のプライドってやつよ。自分から出ていきたくなかったの。男の方 
から来て欲しかったの。貴方にアピールしてるのよ、わたしはここよ、わたし 
を見て、ってね」 
「傍迷惑なプライドだ」 
 俺は一笑に付した。・・・フリをした。 
 案外、ユメコの言っていることが正しいんじゃないか、という気がして。 
 優しいひとときと激しい感情とを人に与える夜の蝶。愛するか、破滅させる 
か、二つに一つの夢蝕み。“月夜の夢魔”の通り名を持つ女、ユメコ。こいつ 
は妙に勘がいい。レンの予知能力とは違う、謎めいた、そう、女の勘、という 
やつだ。 
「どんな人だったの?」 
「いい女だったさ」 
 ユメコがちょっと眉をひそめる。おいおい、まさかマジで妬いてんのか? 
「それと同じくらい、・・・こわい女だったさ」 
 愛しているから。そう言って、彼女は望んで吸血鬼となった。愛しているか 
ら、永遠に、貴方と共にいたいから。そういって、彼女は俺の血を奪い、俺に 
彼女の血を授けた。闇の洗礼。俺は望まずして、吸血鬼となった。 
 もう何年、いや、何十年前のことになるのだろう。 
 “混沌の監視者”レンは、あのとき、輝き始める星を見ながら言った。 
「君は、『彼女』に会わない方がいい」 
「彼女? 女なのか? その、『闇』とやらは」 
「彼女、だと思う。イザナミという言葉が連想される」 
 黄泉の国の女王。国生みの母。 
「闇は自己と他者との区別を無くする。連帯感、一体感、そして安心感。闇は 
全てを包み込むもの。だから」 
 そこで言葉を切った後、レンは自分でも困惑しながら、懸命に言葉を探して 
いるようだった。ややあって、ポツリと言う。 
「私は・・・君が『彼女』に会うことを『知っている』。だけど私は、君に、 
『彼女』に会って欲しくない」 
「お前が予言に願望を交えるとはなぁ」 
「君は、『彼女』に呑まれる。呑まれることを、きっと望む」 
「俺が敵に寝返るとでも?」 
「わからない。でも、」 
 なおも言を継ごうとするレンの頭を、俺はぐしゃぐしゃと撫でてやった。台 
詞を中断させられて、レンがぷうっと膨れる。伝説の住人ってヤツは、自分の 
演出を邪魔されると大いにヘソを曲げる。更に俺は奴の機嫌を損ねるようなこ 
とを言ってやった。 
「あんまり気を回しすぎるな、3歳児」 
「3歳児ゆーなっ」 
 レンは生まれて3年だ。誕生してから3年、ではない。発生してから3年な 
のだ。レンは都市伝説。死という概念神。不吉の先触れ。生物ではなく現象。 
無意識の必然性に基づいて、自動的に生じた。この街の半魔達は勿論、歴史の 
監視者と呼ばれる存在達の中でも、最年少の部類だろう。 
「もう教えてやらないっ」 
 それこそ子供みたいに、ぷいっと顔を背けてレンはその場から消えた。空間 
跳躍能力。必要なときに、必要な場所へ、恐らくはレン自身が望むと望まざる 
とに関わらず、現れるための能力。 
 予言者が去って、月が昇り、俺は深く息を吐いた。レンの予言は有用だが、 
先入観ばかりを持たされても困る。 
 今は、しかし、あの続きを聞いておいた方がよかったか、とも思う。 
 ・・・と、俺は回想を打ち切った。 
「何をしている?」 
「ヤラしーこと」 
 鼻歌でも歌いそうなぐらい楽しげに、ユメコは俺のネクタイを解き、シャツ 
のボタンを一つ一つ外していく。襟元が大きく開いた時点で、俺の首筋に唇を 
押し当てて。おい、今、キスマーク付けただろ。 
「窓、開いてんぞ? 外から丸見えだ」 
 ここは4階。そうそう覗いてる奴もいまいが。ユメコは悪戯っぽく、 
「見せつけてるのよ」 
「真っ昼間っから、これがホントの淫モラルだな」 
「やーね、オヤジギャグ」 
 ほっとけ。 
「それに、人間は昼間に活動して夜にこういうことするでしょ? あたしたち 
は夜に活動するんだから、昼間にこういうことするのが正しいのよ」 
 お前の場合、夜の活動とやらも、要するに、こういうことなんだろうが。 
 言ってるうちに、ボタンは全部外された。俺の胸を大きくはだけておいて、 
ユメコは真っ先に、俺の脇の下に鼻を突っ込む。 
「いい匂い」 
「この変態め」 
「そんなことないわよ。女の子ってね、好きな人の体臭には安心するものなの 
よ?」 
「女の子って歳か?」 
「あら、ひっどーい」 
「っ!」 
 真っ赤に塗った鋭い爪を、いきなり俺の乳首に立てやがる。文句を言おうと 
した俺の口を、爪と同じ色の唇で塞いで、遠慮も呵責もないいきなりのディー 
プ・キス。俺の舌を吸い込んで、自分の舌で包み込んでくる。おいおい、今日 
は飛ばしてんな? 
 俺は右手をユメコの背中に回して彼女の身体を引き寄せ、でかくて柔らかい 
胸に左手を置いて優しく揉みこねた。そういえば、人体の構造として、乳房と 
いうのは胸筋で支えるよりもむしろ皮膚で上から吊ってあるものだそうだが、 
ここまでボリュームのあるブツを、重力を無視して前方に突き出すほどに保形 
できる皮膚ってのはどういう代物なのか。いっぺん調べてみたい気もする。 
 まあ、ユメコは人間出身の俺とは違って生粋の魔物だから、そういう考察に 
あまり意味はなさそうだが。 
「ん、だーめ」 
 銀の糸を引きながら唇を離して、ユメコは俺の手を自分の胸から遠ざけた。 
「今日はあたしがするのよ」 
「今日『も』の間違いだろ?」 
 俺の言などどこ吹く風。マンガなら、背景にウキウキワクワクという文字が 
浮かんでいそうな、そんな顔して夢蝕みの女が俺のズボンのベルトを外す。 
「あのなー。そこまでするなら、せめてブラインドを下ろせよ」 
「やーねー、恥ずかしがり屋さんなんだから」 
 お前に羞恥心がないだけだ、とは、言うのをやめておいた。こんな時間にこ 
んな場所でヤろーって辺り、俺もこいつと大差はない。月夜でなくとも“月夜 
の夢魔”。甘美な淫夢に、しばし酔おうではないか。 
 ジャッ、とブラインドが下ろされ、室内が薄暗くなる。 
 俺は机に座ったまま、ズボンもパンツも引っぺがされた状態。 
 ユメコは片手を俺の身体に添えて、改めて唇にキスをし、それから顔中に、 
首筋に、胸元に、次々とキスの雨を降らせていった。その上で、残る片手は俺 
の内股を這い上がり、俺のモノに達して、焦らすように指を、掌を、沿わせて 
いく。 
「ね、彼女とはどーゆー風にしたの?」 
「そんなことを訊いてどうするんだ?」 
「別に、単なる好奇心よ。お望みなら、同じようにもしてあげるし、全然違う 
ようにもしてあげるわ」 
 俺は暫く黙ってユメコの愛撫に身を任せてから、自分でも意外なぐらいの気 
紛れで、質問に答えた。 
「彼女とは、こういうことをしたことがない」 
「嘘ぉ?」 
「本当だ。人間だったときも、吸血鬼になってからも」 
 彼女は、いや、俺もそうだが、あの頃、セックスというモノに嫌悪感を抱い 
ていた。熱心なキリスト教徒。加えて極度の潔癖性。理想というものが現実に 
存在するのだと、そして自分がその理想を体現できるのだと、無邪気に信じて 
いた若者の頃。自分の性欲を持て余して、自分が汚らわしいモノに思えて、一 
人、悩み苦しんでいた。自分の性欲すら認められなかったのだから、ましてや 
相手の性欲など認められるはずもない。俺達にとっては、例えば手と手が触れ 
合うことすら禁忌だった。スキンシップのない、プラトニック・ラブだけが純 
粋な愛、正しい愛なのだと信じ込んでいた。 
 もしかすると彼女は、魔物になれば人間的な欲望から解放されて、清らかな 
関係のまま、俺と永遠の愛を誓い合えると考えていたのかも知れない。勿論、 
そんなことは全くなかったわけだけれども。 
 驚き呆れて、夢蝕みの手が止まる。 
「セックスを楽しまないなんて。人生の99%を損してるわ」 
「人生の99%がセックスか。お前らしい感想だが、参考までに、残り1%は 
何なんだ?」 
「オマケ」 
 オマケかよ。俺は少し笑う。 
「彼女が他人に・・・男に触れたのは、自分が吸血鬼になるための吸血行為の 
際と、俺を吸血鬼にするための吸血行為の際のみだ。吸血鬼の吸血には食事ば 
かりか性的な意味合いもあるからな、必要なときは、獲物の血をグラスに受け 
て飲んでいた。彼女の通り名に“純白”が付いている理由がそれさ。真っ白な 
んだよ彼女は。ヴァージン・ロードのウェディング・ドレスみたいなものさ」 
「あたしとはお友達になれそうにないわねー」 
 頼まれたって願い下げだわ、と吐き捨てんばかりの口調だった。 
「だけど、俺は知っちまったからな」 
「何を?」 
 やや強引にユメコを抱き寄せて、 
「セックスは、心のつながりを支えてくれる。目に見えない想いを、形にして 
くれるものだ、ってことをさ」 
 キス。キス。キスのリフレイン。 
 ユメコは応える。 
「そんな小難しい理屈はどーだっていいの。楽しくて、気持ちよくて、幸せな 
のがセックスってものよ」 
 ああ。お前の言葉は明快で、耳にも皮膚にも心地いいよ。ユメコ。 
「あのね、ヤイバ」 
「何だ?」 
「浮気はいいけど、本気はダメよ?」 
 眼鏡越し、上目遣いに言って、すっと頭の位置を下げ、俺のムスコにご挨拶 
のキス。 
「ま、他の女に本気になろーったって、あたしから離れられないカラダにして 
あげるけど」 
 チロリと雁首を舐めあげた。それからゆっくりと俺のモノを飲み込んで。 
 温かな口腔内に包んでおいて、意地悪するように一旦吐き出し、 
「あたしが本気なんだから。貴方も本気でいてくれなくちゃね」 
「勝手なこと言うな、バカ」 
 返事はなかった。もうユメコの口の中は、俺のモノでいっぱいだったから。 
 浮気はいいけど本気はダメ? 貴方も本気でいてくれなくちゃ、だと? そ 
んな台詞、少なくとも俺に言うのは初めてだよな、ユメコ? 
『君は、「彼女」に呑まれる。呑まれることを、きっと望む』 
 レンの言葉が思い出された。ユメコにはそのことを話していないし、レンが 
わざわざ教えたとも思えないが。 
 女の勘、ってやつ、か。 
 “月夜の夢魔”は、執拗に俺を責め立てる。そのスピードが、みるみるうち 
に早くなる。その気になれば、どんな男が相手でも2秒でイカせられるような 
手練手管の持ち主。一方的に追い上げられて、俺は思わず声を上げる。 
「う、あっ、ユメ、コ、お前っ、激しすぎ・・・ああっ」 
「ふふっ・・・可愛い声」 
 少し口を離して、囁くように、いざなうように、 
「もっと、聞かせて?」 
「あ、は、あうっ、はあっ・・・やめ、頼む、もう・・・うあああっ」 
 反撃もできない。自分の上体を支えるのが精一杯。目を閉じて、甘い津波に 
押し流されて。 
「ああっ、イく、イく・・・・っ!」 
「そうか、では早く準備をしてくれ」 
 え? 
 意外な女声に目を開けた。そこに“混沌の監視者”レンの顔。眼鏡の向こう 
から、アリの行列を楽しげに眺めている子供みたいな面持ちで。 
「行くのだろう? 彼女のところへ」 
「うわっ!?」 
 反射的に飛び退く、俺のイチモツがユメコの口から抜け出して。 
「キャッ!?」 
 発射。 
 “月夜の夢魔”の華奢な手に、美しい顔に、豊満な胸に、艶やかな髪に、透 
明なレンズに。 
 俺の吐き出した白いドロドロがベッタリと、たっぷりと。 
「もぉっ、サイテー!」 
 俺とレン、どちらに言ったか、ユメコはぷんぷん怒りながらも、溶けて流れ 
たソフトクリームみたいにそれを舐め、その途端、美味しそうに目を細めた。 
こんな仕草でさえ、何でお前はそんなに色っぽいんだ? 出したばかりで、ま 
た勃つじゃないか。 
 いやそれより何より。 
「レェェン! お前なァ! ノックして扉から入ってくるぐらいしろよ!」 
 怒鳴りつけたが、“混沌の監視者”はカケラの反省もない。 
「だってロウが」 
「ああ? ロウがどうした」 
「どーせヤイバはユメコとイチャイチャしちょるじゃろうけん、いきなり出てっ 
て声掛けよったらウケるぜ、って。あ、はいこれ、ロウからの差し入れ」 
 ロウの方言を真似ながら、どこからともなく取り出して俺に差し出したのは 
ウェット・ティッシュのお徳用プラケース。 
 ・・・・・そうか。わかった。悪いのはレンじゃない。 
 ロウ。あの狼男。 
 後で絶対にコロス。 
 伝説の住人に対し、「ウケるぞ」の台詞は殺し文句だ。新宿に住まう伝説の 
住人レッド・デスが、「ナウなヤングに馬鹿ウケ!」の一言で、地獄の道化師 
七ツ目青三郎にあっさりそそのかされて、新宿中のティーンエイジャーを『こ 
こではないどこか』へ連れ去った事件は、まだ記憶にも新しい。あれを揉み消 
すのに幾つの組織がどれだけ難儀したか。 
 目立たなければ、噂されなければ、存在し続けることができない。忘れられ 
たら、無視をされたら、それで【真の死】確定だ。伝説の住人は幻影の魔物。 
 それを逆手に取れば、 
「今度ンなことやったら、二度とお前には構ってやらんぞ!」 
「ゴメンなさい」 
 こうやって素直に頭を下げる。 
 レンは、そしてキリッと表情を改め、 
「とにかく、急いだ方がいい。待てども来ない男を待ちわび、漆黒の闇は白銀 
の月に目を向けた。そこに光があるから、男は影を見ないのだ、と」 
 “純白の妖婦”ヨウコ。ただセックスを嫌うだけの女なら、“妖婦”の通り 
名が付けられようはずもない。 
 彼女のやり口は俺が一番よく知っている。次に狙われるのが“月夜の夢魔” 
ユメコだというのなら、彼女はユメコを『殺さない』。死ぬことも、狂うこと 
も許さず、最も残酷な方法で、俺に見せつけるように、俺を、誘い出すためだ 
けに、地獄もかくやの苦しみをユメコに味わわせ続ける。 
 人間だった頃は春の女神のように心優しかったのに。極寒の精霊の如き彼女 
のこの性格は、心冷たき不死の死者・吸血鬼になぞなったせいだろうか、それ 
とも。 
 ・・・冗談じゃない。俺の女に手を出されてたまるか。 
 歌うように、語るように、レンは言葉を続ける。 
「昼と夜との調和が乱されようとしている。今、この世界に滅びの物語をもた 
らすわけにはいかない。終わりなき愛に終わりを。眠りなき闇に眠りを」 
 スッ、と俺に手を差し伸べ。 
「ヤイバ。“宵闇の探偵”。君の出番だ」 
「ああ」 
 俺は深く頷いた。 
「だがな、レン」 
「何だ?」 
「その、君の出番が云々っつー、いつもの決め台詞。今すぐ必要なのか?」 
「言わないと落ち着かないんだ」 
「それはそうなんだろうが、」 
 俺自身の汚れを拭ったウェット・ティッシュをまとめてゴミ箱に放り込み、 
「せめて、俺が『後始末』するまで待てなかったのか?」 
 “混沌の監視者”は、当然のように言った。 
「うん。待てなかった」 
 前のモノをぶらーんとぶら下げたまま、俺は盛大に溜息をついた。 
 パンツとズボンを順番に穿き、シャツのボタンを留めて、最後にネクタイを 
締め直す。その間にユメコも身繕いを整えていた。・・・予備の服を持ってや 
がるとは、ヤケに気が利いている。 
「で? 彼女はどこにいる?」 
 俺の質問に満足したように、レンはこう言い残してからふわりと消えた。 
「中央公園、あるはずのない白薔薇の庭。純白の花びらが舞うアレナで、彼女 
は君を待っている」 
――― 
 彼女が待つというアレナの入り口。イバラが形作るアーチの前には、他の連 
中も来ていた。 
 “混沌の監視者”レンは監視者としての使命のために。“法の番犬”ロウは 
外道のモノを狩るために。“鋼の戦士”ハガネは正義のために。“きらめきの 
魔法使い”マホは平和のために。“守護天使”アンジェは歪んだ愛を導くため 
に。“真魔の血脈”マコトは日常生活を守るために。“誇り高き龍”リュウは 
傷つけられた矜持の落とし前をつけるために。“無垢なる人形”ドリィは御主 
人様のお役に立つために。 
 どーでもいいが、お前ら。俺達が来るまで【かりそめの姿】のままイカ焼き 
だのチョコバナナだの冷凍パインだのオレンジジュースだの飲み食いしながら 
待っていたのか。いやまあ確かに、こんなお散歩日和の日に公園になんか来た 
ら、屋台で買い食いの一つにも手を出したいところだが、これから生死をかけ 
た血戦に赴くんだろうが。なんて緊張感のない連中。 
 頼もしすぎて、俺の口元に自然と笑みが浮かぶ。 
「よう、遅かったのう?」 
 訳知り顔でロウが俺達をからかう。俺は奴の掌に拳で一撃をくれてやってか 
ら、周りを見渡して、 
「お前達も行くのか? 彼女の・・・奴の強さはわかっているのだろう?」 
「だからこそ我も行くのだ、吸血の者よ」 
 リュウが余裕たっぷりに笑い、アンジェが誇らしげに宣言する、 
「愛ある限り戦いましょう。命、燃え尽きるまで」 
「正義は必ず勝つ。たとえ、この俺が倒れたとしても」 
 ハガネが決意を込めて胸に手を当て、ドリィは無言でこちらを見つめる。 
「俺は明日テストなんだ、早く終わらようぜ」 
「あたしもまだ宿題が〜」 
 二人がかりでタコ焼きを平らげ、高校生のマコトと中学生のマホが急かす。 
 馬鹿な奴らだ。吸血鬼の冷たい心が、こんなとき、とても温かくなる。 
「レン」 
「ん?」 
「俺は、彼女に呑まれる運命なのか?」 
 ロウのミックスジュースを一口飲ませてもらいながら俺の問いかけを聞き、 
「運命は物語を導き、君は物語を紡ぐ」 
 伝説の住人は楽しそうに歌う。 
「運命に従え。さもなくば抗え。選択を為すのは、常に君自身だ」 
「ありがとよ。参考になった」 
 俺は相棒を肩に担ぎ持った。 
 そんな俺の側にぴたりと寄り添って、“月夜の夢魔”ユメコが甘える、 
「ねぇ、ヤイバ。お願いだから、死ぬときはあたしの名前を呼んでね」 
 彼女の名前じゃなくて。 
 俺は苦笑して応える、 
「ああ。わかった」 
「貴方は、あたしにどうして欲しい?」 
 俺は苦笑を消して答える、 
「死ぬな、何があっても」 
「・・・ズルい人」 
 触れ合うだけの、軽い口づけ。 
「覚悟はええな? 開けるぜ」 
 そう一言告げて、ロウが門を押し開けた。中から突風が吹き出し、バアッと 
白い花びらの群が視界一面に舞う。ムッとするほど薔薇の匂い。 
 彼女の好んだ香り。 
 アレナの中へと足を踏み入れた者から順に、俺達は【魔の姿】を顕にしてい 
く。人狼。執行者。魔女。異能者。伝説の住人。降りた天使。竜。自動人形。 
吸血鬼、そして、夢蝕み。 
 最奥部に、清楚な白いドレスの女が見えた。 
 ヨウコ。“純白の妖婦”。俺の『親』。昔の恋人。 
 俺達の、敵。 
 記憶そのままの懐かしい微笑みで、両腕を大きく広げて歓迎の意を示す彼女 
に、俺は魔剣の切っ先を向けて。 
「役者はそろった。仕掛けも上々。 
 さあ、舞台の幕を開けろ。 
 クライマックスの始まりだ!」 
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